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令和元年6月8日(土)

■昼:ロースとんかつ弁当・しじみ汁・漬物
■夕:あとひき豆・トマトとモッツァレラのサラダ・
   アボカドとベビーリーフのサラダ・ミモレット・
   ハモンセラーノ・プロシュート・石窯パン・
   神泡Pモルツ・イルパッソ・プリミティーヴォ

□起床時体重:計量失念
□入浴後体重:69.8kg

午前中は2日分のこれ書いておしまい。

11:50に愛妻と自宅を出て近くの商業施設まで歩く。
ドラッグストアと100均を巡る予定が、
ついつい某とんかつチェーン店の前を通ると、
すでに売り切れていると思われていた弁当がまだ売れ残っている。
喜んでホイホイ買ってしまう哀しさよ。

13:00に帰宅して昼食を済ませる。
午後は外出の予定はなかったが、天気もなんとかもちそうだし、
なんといってもカロリーを消費せしめねばならない。

あてのないまま15:00に自宅を出発、
いつも通勤に利用するバスに乗り、国道に出たところで降りる。
クラシカルな商店街を少し歩いたところでUターンし、
川沿いの道に出ると、川の両側に多くの露店が出ている。

その名前は聞いたことがあっても場所を知らなかった荏原神社が
なんと川のすぐそばにあることを発見し、
さらには今日明日がお祭りであることを知る。


201906081.jpg

まずは参詣。

露店が立ち並ぶ川沿いを通って国道に出て、
右に折れて少し歩くと有名な品川神社があり、
なんとここも今日明日が例大祭であった。


201906082.jpg

階段を上ると参拝を待つ長蛇の列、
並ぶことは好きではないが、せっかくきたので最後尾につく。


201906083.jpg

能舞台では巫女さん2人による優雅な舞いが始まった。

参拝を済ませ、拝殿右手から建物の裏に周り通路を辿って、
幕末の志士でもあり、維新後は自由民権運動の主導者として
活躍した板垣退助の墓所へ。


201906085.jpg

「板垣死すとも自由は死せず」

この場所を訪れるのは実に46年ぶりのこと。

中学2年の夏休み、同級生のM岡と自由研究で
「品川区内にある歴史上人物の墓」を巡った。

当時千円札の伊藤博文の墓は西大井、
五百円札の岩倉具視の墓は南品川「海晏寺」にある。

(ちなみに岩倉具視の墓は確か当時は鉄柵越しに垣間見て、
墓の横に機関砲が鎮座ましましていることに驚愕した記憶がある。
しかし現在では厳重な警戒の下、完全非公開となっているとのこと。
そこには諸々の事情が見え隠れするが、ここでは触れない)

そしてこの頃まだ使われていた百円札に描かれていたのが板垣退助。
(百円札はこの翌年1974年8月に使用停止となった)

上の写真の墓碑は脳裏の奥深く、かすかに記憶が残っていたが、
墓もあったという事実は記憶から完全に抜け落ちている。

ともあれ懐かしい。


201906084.jpg

女坂を下って国道を渡り、賑やかな商店街を抜け、
旧東海道をゆるゆる歩くと、前方から神輿が5基連なってやってきた。

子供の頃から祭礼にはまったく興味がなかったので
実際に担がれている神輿を間近で見るのは初めて。


201906086.jpg

勇壮な担ぎ手さんたちの熱量がものすごく、その大迫力にビックリ。

5基の神輿が過ぎ去った後、再び旧東海道をのんびり歩き、





201906088.jpg

あの名画「幕末太陽傳」の舞台となった土蔵相模跡の立て札を見て
京急の線路を越えて国道に戻り、
品川神社の前まで来ると、さっきの神輿が今度はなんと
神社の階段を上っていくクライマックスに偶然遭遇。
もうただただ口アングリ、写真を撮るのも忘れてじっと見入る。

近くの停留所からバスに乗り、いつもより1つ先で降りて
ガード下スーパーでちょろりと買い物して19:00帰宅。

さっとシャワー浴びてゆるりと飲み食いして23:00気絶。
明日こそ完全休養。
  

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